ヘビメタパパの書斎 › 2013年08月28日
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2013年08月28日
夏休み過ぎて
子供たちにとっては「もう終わったよ・・」。
親にとっては「やっと終わったよ・・」。
というわけで、夏休みが終わりましたね。
とにかく今年の夏は暑かった。暑かった。そして暑かった。
ウチのムスメが年長のときに夏祭りの金魚すくいでつかまえて、すでに「金魚っつーか、鯉だな」ってレベルに成長した金魚が6匹いたのですが、3匹死んでしまいました。
ずっと長生きしてたのにな。
ウチは共働きだから、夏休み中の生活パターンはある程度子供たちに委ねられる。
当然、宿題とか手伝いとか指示しとくわけですが、その通りにいくわけがない。
今年の夏休み最後の土日は、残った宿題や課題が山積。
特にボウズ。オメーだよ。おい。
ちなみに今年の夏休みの研究は・・・
五年生のムスメは、「そろそろ自分の部屋が欲しいし、そのときに本棚が欲しいなー」と以前から言っていたので、本棚作り。
幸い、ワタシの弟が大工に類する仕事をしているので、そういう系統はオマカセできる。
ワタシはそういう系統は一切ダメ(キモチはあるが、作っても無残なもの)なのだ。
実家に帰省した際に、ワタシ&ムスメだけ一日延泊して制作。
ムスメもワタシに似てそういった系統は苦手・・かと思っていたら、わりとキッチリと細かく進捗していく。
まぁ、準備万端整えていてくれたおかげであるわけですが。
結果、学校で展示すると異彩を放つほどの出来ばえ。
明らかにオトナが手伝ったというのがミエミエの作品で、こういったものも良し悪しだなと思うわけですがね。
とはいえ、さしがねで計り、のこぎりで切り、カンナで削り、サンドペーパーで整え、釘を打つ。
基本的流れを自分で進めていった充実感はあったようです。
炎天下で苦労しながらも楽しかったようですね。
三年生のボウズは、昨年に続いて研究作品。
昨年の夏休みが終わった頃から「オレ、来年の夏休みの研究、もう決めとるでな」と長期スパンで臨んだボウズ。
・・というと聞こえがいいんですが、実際にはスパンが長すぎたな、うん。
とはいえ、ところどころで「コレ、来年の研究に使うでな」と物色していたところを見ると、一応意識はあったようだ。
が、そんな感じで一年経過してしまい、「それなりに進んでる」という錯覚をしてしまったんですかね。
結局、最後の最後に猛烈ラストスパートをかけないと間に合わない状態に。
こちらはムスメと違って、いかにも三年生レベル。チープ。
けど、それはそれでいいと思うのだ。
奥様は「もっとこのへん、こういうふうに書くといいんじゃない?」とアドバイスしていたが、最終的には自分のコトバでまとめていた。
思い込んだら一直線(人のアドバイスに耳を貸さない)ところは、トーチャン似なんだろう。きっと。
そして、この夏はワタシの母が亡くなって一年。
存命中は「ありがた迷惑」に感じていたことが、「あー、前ならこういうことは必要なかったのにな」と思うことが多いことに気づく。
あたりまえすぎて、ありがたみを感じていなかったことが、すごく重く感じる。
子供たちも、母(子供から見ればばあちゃん)の「おまえたちのお父さんはな、子供の時はな・・」と、ワタシの幼少期のことを聞くのが大好きだったのに、今ではもう聞けなくなった。
フとしたときに、その大きな存在が風穴のようにスッポリと抜けてしまっていることを感じます。
とはいえ、日常はどんどん流れていきます。
「いない」ことが普通になりつつある日々に違和感を感じています。
昨年、その闘病の記録をブログに書いた。
命日が近づき、そのブログを読み返すと、そのときのジェットコースターのような、フリーフォールのような、迷路のような、環境と感情の変化が蘇ってきます。
普段はダラダラとメタル話を中心に書きなぐっていますが、こういった身辺の変化や子供たちの成長の過程を振り返ることができるという意味では、一応ブログを続けて良かったのかもな、と感じておりますよ。
Nuclear Valdez - SUMMER
梅雨が終わって夏が始まる前、そして、猛暑を越えて微妙な秋風を感じる時に、この曲が脳裏をよぎるのです。
親にとっては「やっと終わったよ・・」。
というわけで、夏休みが終わりましたね。
とにかく今年の夏は暑かった。暑かった。そして暑かった。
ウチのムスメが年長のときに夏祭りの金魚すくいでつかまえて、すでに「金魚っつーか、鯉だな」ってレベルに成長した金魚が6匹いたのですが、3匹死んでしまいました。
ずっと長生きしてたのにな。
ウチは共働きだから、夏休み中の生活パターンはある程度子供たちに委ねられる。
当然、宿題とか手伝いとか指示しとくわけですが、その通りにいくわけがない。
今年の夏休み最後の土日は、残った宿題や課題が山積。
特にボウズ。オメーだよ。おい。
ちなみに今年の夏休みの研究は・・・
五年生のムスメは、「そろそろ自分の部屋が欲しいし、そのときに本棚が欲しいなー」と以前から言っていたので、本棚作り。
幸い、ワタシの弟が大工に類する仕事をしているので、そういう系統はオマカセできる。
ワタシはそういう系統は一切ダメ(キモチはあるが、作っても無残なもの)なのだ。
実家に帰省した際に、ワタシ&ムスメだけ一日延泊して制作。
ムスメもワタシに似てそういった系統は苦手・・かと思っていたら、わりとキッチリと細かく進捗していく。
まぁ、準備万端整えていてくれたおかげであるわけですが。
結果、学校で展示すると異彩を放つほどの出来ばえ。
明らかにオトナが手伝ったというのがミエミエの作品で、こういったものも良し悪しだなと思うわけですがね。
とはいえ、さしがねで計り、のこぎりで切り、カンナで削り、サンドペーパーで整え、釘を打つ。
基本的流れを自分で進めていった充実感はあったようです。
炎天下で苦労しながらも楽しかったようですね。
三年生のボウズは、昨年に続いて研究作品。
昨年の夏休みが終わった頃から「オレ、来年の夏休みの研究、もう決めとるでな」と長期スパンで臨んだボウズ。
・・というと聞こえがいいんですが、実際にはスパンが長すぎたな、うん。
とはいえ、ところどころで「コレ、来年の研究に使うでな」と物色していたところを見ると、一応意識はあったようだ。
が、そんな感じで一年経過してしまい、「それなりに進んでる」という錯覚をしてしまったんですかね。
結局、最後の最後に猛烈ラストスパートをかけないと間に合わない状態に。
こちらはムスメと違って、いかにも三年生レベル。チープ。
けど、それはそれでいいと思うのだ。
奥様は「もっとこのへん、こういうふうに書くといいんじゃない?」とアドバイスしていたが、最終的には自分のコトバでまとめていた。
思い込んだら一直線(人のアドバイスに耳を貸さない)ところは、トーチャン似なんだろう。きっと。
そして、この夏はワタシの母が亡くなって一年。
存命中は「ありがた迷惑」に感じていたことが、「あー、前ならこういうことは必要なかったのにな」と思うことが多いことに気づく。
あたりまえすぎて、ありがたみを感じていなかったことが、すごく重く感じる。
子供たちも、母(子供から見ればばあちゃん)の「おまえたちのお父さんはな、子供の時はな・・」と、ワタシの幼少期のことを聞くのが大好きだったのに、今ではもう聞けなくなった。
フとしたときに、その大きな存在が風穴のようにスッポリと抜けてしまっていることを感じます。
とはいえ、日常はどんどん流れていきます。
「いない」ことが普通になりつつある日々に違和感を感じています。
昨年、その闘病の記録をブログに書いた。
命日が近づき、そのブログを読み返すと、そのときのジェットコースターのような、フリーフォールのような、迷路のような、環境と感情の変化が蘇ってきます。
普段はダラダラとメタル話を中心に書きなぐっていますが、こういった身辺の変化や子供たちの成長の過程を振り返ることができるという意味では、一応ブログを続けて良かったのかもな、と感じておりますよ。
Nuclear Valdez - SUMMER
梅雨が終わって夏が始まる前、そして、猛暑を越えて微妙な秋風を感じる時に、この曲が脳裏をよぎるのです。