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2022年12月12日

16周年だそうですよ

ブログ開設、16周年!とのことで‥。




当初と比べるとペースも落ちてるし、休眠期間もあったりするわけですが、まずは運営さんに感謝ですね。
ひだっちブログを維持していただいてありがとうございます。

16年前というと、ムスメは4歳、ボウズは1歳
‥長い。

子供の年齢を数えるだけでなく、自分も同じだけ年齢を重ねていることを思うと恐ろしくもありますね。

いまはツイッターやインスタ、FACEBOOK等も含めて多様なSNS環境が出てきて、ブログの存在意義は以前よりは希薄になっているのかもしれません。

が、もともと「プレゼンで負けたから文章力を向上させたい」という意図で始めたものなので、私の中ではそれらのSNSとは違い、変わらず重要な場所です。

そんな中で興味を持っていただいた方と交流したり、その中でも一生モノのご縁ができたりもした。
ありがたいことです。

ムスメは成人し、ボウズもこの冬には(成人年齢引き下げのこともあり)成人となることで、子供関係の記事は書けなくなっていくことでしょう。
これからは家族旅行もあまり行かなくなるだろうから、そういった話も書けなくなるだろなぁ。

細々と音楽の話を綴っていくだけになるかもしれませんが、それでも続けていけたらなぁ‥と。
16年も継続できることなんて、ほかにあまり思いつきませんからね。

改めて運営さんに感謝。
今まで関わってくださったすべての方々に感謝。

さぁ、目指せ17年目!  

Posted by テン at 07:27Comments(0)雑記棚

2020年04月14日

マスクでメタル

久しぶりの雑記になりますが‥マスク買えませんよね。
朝からあれだけ行列ができてたら「ダメだコリャ」ってなりますよね。

我が家は私以外みんな花粉症なのでマスクは多めに備蓄していたのですが‥

奥様から「そろそろマスクが少なくなってきた」という声を受けまして、じゃ作ればいいじゃん。と。

なぜか布やガーゼやマスクひもは奥様が「昔買ったのがいっぱいある」ということで、素材はバッチリ。
「ミシンはあそこにあるでな」と、ミシンもバッチリ。

学生時代以来のミシンに戸惑いながら、チャレンジ・ザ・マスク!



もう着ることないXLのRoyalHuntのTシャツ。
この頃の物販って、Mサイズの上がXLだったような記憶があります。だから、我が家にはけっこういくつかXLサイズがあるのだ。
しかも海外サイズだからブカブカなのだ。

こうして蘇るとは‥なんだか感慨深いですね。


そして、仕事に使えそうな生成りとか、奥様&子供たち向けのマスクも。




マスク作り、すごく楽しいです。
作り始めた日は、楽しくて楽しくて一日作り続けてしまいました。

ミシンの操作はもう覚えてなかったので、説明書&奥様の指導でクリア。
そこさえクリアできれば、簡単に作れます。

もう着れないメタルTシャツ、色褪せてしまったメタルTシャツはたくさんある。
いろんなマスクを作って、出かけるときに「今日はどのメタTにしようかな」とウキウキするのと同じように、マスクも選べるようになりそうです。

もうドラッグストアの行列を見てイライラしなくてもいい!
高騰しているマスクを買わなくてもいい!

お気に入りの生地で、お気に入りの手作りマスク、みなさまも是非とも!




  

Posted by テン at 08:21Comments(0)雑記棚

2017年12月28日

Bye! 2017!

2017年も終わりが近づいてまいりました。
なんだかんだで今年も継続することができてよかったなーと思っておりますよ。

2017年を振り返ってみると‥

なんといっても我が家の愛すべき家族であったウサギのナナちゃんを失ったことがハイライトだった。
ムスメが一年生のときに我が家の家族となり、中学三年生になるまで共に時を過ごした。
私もショックでしたが、ムスメにとってはまさに物心ついたときから思春期まで、一緒にいて当然の家族でした。
毎年の年賀状には子供たちの写真と一緒にナナの写真を入れていたわけですが、今年からはそれも無くなります。

そしてボウズも中学生に。
ムスメとボウズが二人とも中学生になり、家族のライフスタイルは一変しました。
土日、いない。
夏休みや冬休み、部活。
平日、寝るの遅い。
毎年夏休みの家族旅行も今年は日程が合わずに断念。

来年はムスメが高校生(受かれば、ですが)。
またライフスタイルが変わっていくんだろうなーと感じます。

とはいえ‥
ムスメは相変わらず「おとーさん、おんぶで二階まで連れてって」
ボウズは相変わらず「一人はイヤで自分の部屋要らんで」
と、あまり成長の兆しはないわけですが‥


さて、メタル界で起こったことを順不同で思い出してみると‥

マルコム・ヤング 死去
Pumpkins United、ツアー開始&まさかの新曲リリース
念願のFreedomCall、来日。まさかのDerdian&TwilightForceも同時来日。
そのTwilightForce、ヴォーカル脱退
LoudParkのシークレットアクトでBlackEarth、ド肝を抜く
Dynazty来日!
The Poodles、2018年の来日をアナウンス!
さらにはDragonlandも2018年の来日をアナウンス!
SKID ROWに元DragonForceZ.P.サートが加入

なんといってもFreedomCallの来日、そしてそのEvokenFestが衝撃的でした。
夢が叶いましたよ。

そして来年は待ち焦がれたThePoodlesがついに来日。しかも単独!
さらにはEvokenFest2018でDragonLandも!

あまり遠征できるわけではないのですが、それでも待ちわびたバンドの来日にはココロときめくものです。


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そして例年のように、今年よく聞いた曲たちを。
今年リリースされた、という縛りはありません。あくまでも今年たくさん聞いた曲たちです。


まずは夢のような空間だったEvokenFest組。

FREEDOM CALL - "Metal is for Everyone"
メタルはみんなのもの。これほどのパワーワード、そして多幸感に満ちた曲があるでしょうか。



Derdian - In Everything
あの声で、オープニングのHumanResetに続いてのこの曲。泣きそうになりました。




国産組も充実でした。

GALNERYUS「ULTIMATE SACRIFICE」
まさに孤高。今年一番聞いたアルバム。



Aldious / Utopia
彼女たちの自然体が見えたアルバム。個人的にはこのアルバムの路線のほうが好きです。



GYZE - Pirates of Upas
メロデスを追求してきた誇りと、ニッポンの(もっと言えば北海道、北の大地の)誇りが高レベルで相乗効果を見せてくれました。




相変わらず強かった北欧勢

One Desire - "Hurt"
シミジミと染み渡るメロハー。よく聞いたアルバムになりました。


ART NATION - Ghost Town
来日中止が残念でしたが‥



今年知ってズブズブとハマったバンド

THE冠 傷だらけのヘビーメタルPV
SexMachinegunsが好きならイケるかと。こういう「本気でフザける」というスタンス、好きです。




ではみなさま、よいお年を!  

Posted by テン at 06:56Comments(0)雑記棚

2017年12月13日

ブログ11周年&12年目へ

このブログをスタートしたのが2006年12月4日
ということで、2017年12月4日でまるっと11年が経過。12年目へ突入したようです。

‥長いですね。

毎回のように振り返ってしまいますが‥
ムスメは年中さん(だったっけ?)から中学三年生に。
ボウズは乳飲み子から中学一年生に。

そう考えると、なかなか感慨深いものがあります。

当初は週に数枚のペースでブログにアップしてたりもしましたが、仕事の環境の変化もあって、激減してますね。
まぁ、いいのです。
継続することが大事なのだ。と、自分に言い訳をしてみたりします。

各種SNSが台頭して、ブログでなくても‥という場面も多い。
けど、細々とでも続けているのは、このブログを始めたときの初心を忘れたくないという意地でもある。

表現力を磨く。
語彙を身につける。
言葉を紡ぐセンスを身につける。

仕事がキッカケだったとはいえ、やはりブログでそれなりの長文を紡ぐには、そしてそれを継続するには気持ちの張りが必要だ。
11年続けて、何かが変わったかというと変わってない気もしますが、別にいいのだ。
今まで以上に磨ければベストですが、現状から錆び付かないということも大事だから。


まだSNSがここまで多種多様になる前から続けていたおかげで、ブログを縁に出会った方々の中には今では大切な友人として存在してくれている方々もいる。
これは人見知りな私にとっては奇跡であり、大きな財産だ。

そういう思い入れもあって、「もういいかな、やめよっかな」と思ってもなんとなく踏ん切りがつかないのだ。

音楽を聞くとしても、あとでブログに‥と思うと、いろいろな視点で聞くことができる。
‥単純に楽しんだほうがいいじゃん、という声もあるかと思いますが。

これだけ長くメタルを聞いてきていると以前よりも新鮮味や衝撃を受ける場面が減ってきているのは事実。
そんな中でもたくさんの音楽を貪欲に吸収したいと思えている一つの要因はこのブログにあると思うのです。



そして最近になって大きな意味を感じるようになったのが「備忘録」「記録」としての存在。

11年の間の子供の成長や声。
11年の間のLOUDPARKに代表される、参戦したライブの記録。
11年の間の家族旅行の記録。(二人が中学生になって行けなくなっちゃいましたが)

たまーーに振り返ったりすると、「書いておいてよかった」と思うのです。

地元に密着して、こうした空間を、フリーで提供してくださる運営さんに感謝であります。


12年目も、あいかわらず分かる人には分かるけど分からない人には「なに語ってんだこいつ」という存在のブログになるでしょう。
あいかわらずユルく続いていくことでしょう。

そんな中でも、ときどき覗いてくださる方々に感謝。

12年目もよろしくお願いします。



  

Posted by テン at 07:07Comments(0)雑記棚

2014年09月22日

200,000over

このブログを始めたのが2006年の12月
もうすぐ8年経過ってことになりますかね。

圧倒的に更新ペースも落ちてきてはいるものの、つらつらと独り言を積み重ねてきたわけですが、このたび200,000アクセスを突破したようですよ。
いやー、こんなところに20万回もポチッとしてくれた方々がいらっしゃると思うと感無量かつ感謝感激でありますね。

そんなわけで、こんなときしかアクセスの履歴とかなんてチェックしないので、チョロッと見てみましたよ。
いろいろ振り返ってみましょうかね。

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ブログを始めたのが2006年12月4日
2014年9月22日までの日数が「2846日」(日数計算する便利なサイトがありましてね。)

管理画面の記事一覧によると、ブログの記事の数が「730」ってことになってますね。

単純に日数で割ると、3.89。だいたい4日に一度のペースって計算ですね。
今のペースダウンを思うと、初期の志があった頃のペースの速さを物語っていますね。

で、ザックリ200,000アクセスとすると、一日あたり70アクセスくらい。
・・ひだっちブログの上位の方々と比べたら微々たるものではありますが、個人的としては充分じゃないかと思うわけですよ。
アクセス目的で始めたわけでないし。


さて、今さらですがいろんな機能があるんですね。管理画面。


まず、「人気記事」なるモノ。
堂々一位は、GALNERYUS小野正利、メタル界へ帰還の記事。小野さん人気、根強いです。
その後、骨折の話、ディズニーランド(特に雨の日の話)、カーチャンのガン闘病期。
あとは、ももクロとかドラクエ関係とかがチョロチョロと・・・
そんな感じで、上位20位前後にラウドパーク関係の話がチョロチョロ入りますが・・・30位以内にメタルのアルバムの記事は一切ナシ。

・・・自分の存在意義を疑いますね。えぇ。
とはいえ、同じ骨折で悩む人、そしておそらくは近しい方が同じガンに侵された方。
ワタシがそうだったように、同じツラい思いをされている方の不安を少しでも軽くできているのならば存在意義がありますね。

そんな中、メタルのアルバム関係で一番上位だったのは意外にもRECKLESS LOVE。続いてMANOWAR
・・・ま、これもLOUDPARK絡みでしょうかね。



続いて、「検索キーワード」なるモノ。

まず今月分。
まず圧倒的に「下駄骨折」。・・・またメタルじゃないですね。
続いて「ヘビメタ」「ヘビメタ 飛騨」「ヘビメタパパ」と続きます。
「ヘビメタ 飛騨」って、ピンポイントな検索ですね。これはなんだか「おー、飛騨のメタル好きの人かな?」と思うとウレシイですね。
その後に「転移性肝臓ガン 余命」とか「第五中足骨骨折 リハビリ」といった骨折&ガン関連。
意外なところではWESTWORLDのアルバムの歌詞についての検索が上位に。

そして先月分。
やはり「下駄骨折」関連が圧倒的に上位に来てますね。同じことした人が多いんでしょう。
そしてMANOWAR関係、LOUDPARK14関係がいくつか。
そして先月も「飛騨 ヘビメタ」(なぜか検索ワードが逆)が入ってますね。
「シーネ 勝手に外して生活」なんてのが入ってますが、シーネ外しちゃダメですよ。(経験者談)



続いて、「記事アクセス数」なるモノ。
これは全部見るのは面倒だから、最近のヤツだけチラチラと見たところ・・・
ガン闘病の記録が2500越え。
骨折関係の記事が1500越え。
ももクロライブビューイングが1000越え。
MANOWARが400越え。
MINSTRELIXが健闘して300くらい。
あとは軒並み100前後ですかね。

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いやー、改めて見てみるとなかなか興味深い(というか、メタルを中心としたブログを全否定するような)結果でしたね。

まぁ、どうであれこれだけのアクセス数になったのも、日々見てくださる方々のおかげです。
キモチが折れそうになる(というか、さすがにメンドくさくなる)ときもありますが、こういった節目を迎えるとまた頑張ろう(いや、頑張るってほどのもんじゃないので、細々と続けてもいいかな)って気分になりますね。

あたらめて皆様に感謝。

これからもお付き合いいただけるとウレシく思いますよ。








  

Posted by テン at 07:37Comments(0)雑記棚

2013年11月12日

骨折の骨折り損⑤

さて、LOUDPARKを経て落ち着いてきた感のある「第5中足骨骨折」の状況。

ほぼ一ヶ月が経過しましたね。


< 35日目 > (5週間 経過)

前回、まるまる4週間を経過してとりあえずこのまま様子を見る、ということになりましたね。
さらにその一週間後。

お医者様「痛みはない?」
ワタシ「はい」
お医者様「じゃ、もう少しこのまま様子をみようか」
ワタシ「(ですよねー)はい」

ということで、超簡略的な診察で終了。
この間も超音波のリハビリは続けていますよ。


< 42日目 > (6週間/一ヶ月半 経過)

様子を見るということで、特に記すこともないまま一週間経過。
ほぼ痛みはない。

あ、そういえばこの週に社員旅行がありましてね。
まるまる二日間歩きっぱなしでしたね。

折った箇所は痛みはないのだが、その箇所を無意識のうちにかばっているようで、反対側の指先やら、ふくらはぎやら、いろいろなところに痛みが。
ちょっと調子いいからって、調子に乗ってはいけませんね。

そして、社員旅行から戻って診察。

お医者様「調子、どう?」
ワタシ「はぁ、何も変わりませんね。」
お医者様「骨折して一ヶ月半だよね・・・じゃ、シーネ外してみようか」
ワタシ「・・いいんですか!?」
お医者様「レントゲン見ると、だいぶ白くなってきてるし」(骨が形成されているらしい)
ワタシ「(ホントだ!)」
お医者様「こうやって(骨折箇所を押したり、指先を曲げたり)・・痛い?」
ワタシ「大丈夫です」
お医者様「じゃ、外して生活してみようか。ただ、長時間歩くときはシーネ使ってね」

ということで、骨折からほぼ一ヶ月半。
無事に素足リターンズ!


で、そういえば今までギプスの経過とかを載せてなかったので、載せておきましょうかね。
オッサンの足なんぞ、あんまりキレイなものじゃないから、見たくない方はココで引き返すといいかもしれませんよ。

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①完全ギプス。初日から二週間装着。ひざ下から、ほぼ指先までフル装備。




②半分ギプス。二週間目から、約10日間装着




③シーネ(グラスシーネ?)。カパッとハメる簡易的なヤツ。25日目から42日目まで




この先、まだまだリハビリは続きますね。
あとは通院が終了した頃に、何かまとめ的に書ければ・・と思っておりますよ。


  

Posted by テン at 07:59Comments(4)雑記棚

2013年10月24日

骨折の骨折り損④

さて、骨折の経過と記録。
いよいよLOUDPARK本番を迎える第四週目です。

< 24日目 >
LOUDPARK直前の診察。
何事もなく東京遠征は叶うのか・・

お医者様「どう?調子?」
ワタシ「はぁ、松葉杖を外して生活してますが、特に痛みもありません」
お医者様「あ、そう。じゃ、また来週ね。」
ワタシ「(そんだけかよ!)・・あの・・ギプス、ちょっと歩きにくいので、短めにカットとかできますか?もうすぐ東京なので」
お医者様「じゃ、くるぶしのあたりまでカットしようか?」
ワタシ「それが可能であれば・・」
お医者様「というか、それであれば、こないだ渡した簡易的なヤツ使ってもいいんだよ」
ワタシ「アレ、なんか心配でまだ使ってないんですが・・」
お医者様「痛みがなければ大丈夫だと思うよ。」

ということで、簡易的ギプス?シーネ?に切替え。
薄っぺらくて、コの字みたいな形になってるギプスみたいなのを、足の外側からカパッっとはめるヤツだ。
で、足の裏と足の甲をカバーしてくれる。
これをつけて、リハビリへ向かう。
はめる。
歩く。
ジンジンとした痛みがあるが、骨折の痛みではなく、筋肉の痛みであることが体感で分かる。
これはたぶん慣れで消えるだろう。
痛みを感じながらも30分ほど歩いてみる。
で、休憩すると痛みは消える。
大丈夫。
いける。
休憩して消えるってことは、やっぱり無理してるわけじゃなく、筋肉が慣れてないだけだ。
LOUDPARK参戦に向けて、また一つハードルを超えた。

< 25日目 >
東京入り前日。
ひたすらリハビリ。歩く。歩く。階段も歩く。
痛みはまだ消えないが、休んでみると全く痛みがないので、「いける!」と確信。


< 26日目 >
参戦前日。東京入り。
現地までは友人の車なので、そこについては安心。
現地に到着し、大宮駅周辺を歩く。
15:00くらいから、夜まで、ウロウロする。
夜の20:00の時点で、足の裏がかなり痛む。コの字のギプス的なヤツが足の裏を圧迫してるのだ。きっと。
とはいえ、このくらいの時間までは耐えられることを知ることができた。

< 27日目 >
参戦当日。
早朝から物販に並ぶ。ココでは、ほとんど座ってたので問題なし。
会場入り。友人が階段から近い席を確保してくれたおかげで、ほぼ座って観戦。
途中、物販やレコード会社ブース、飲食ブースへウロウロするが、この程度は問題ないことは前日で把握している。
やはり骨折箇所付近のジンジンとした痛みは残るが、前日の足の裏の痛みはこの日はナシ。
アリーナへ向かいたい衝動を押さえ、ほぼスタンドから観戦で終了。
ホテルに戻っても、ほとんど痛みはない。
無事に参戦できた喜びと耳鳴りを抱えて睡眠。


< 29日目 >
東京から戻って、診察の日。
痛みもずいぶん減ってきた。慣れてきたんだろう。
とはいえ、東京遠征で酷使した足がどうなっているか心配なところだ。

レントゲンを確認。
お医者様「まだ骨はくっついてないですが、ズレはないですね。」
ワタシ「(ヨシャ!!)」
お医者様「じゃ、あとは来週ね。引き続きリハビリで」
ワタシ「あの・・まだこの簡単なギプスはつけてたほうがいいんですよね」
お医者様「だね。まだしばらくは。」
ワタシ「分かりました。これ、足がパンパンにむくんでるときに作ったので、今、むくみがとれてきてスカスカなんですが・・」
お医者様「あ、ホントだね。じゃ、作り直そうか」

ということで、簡単なギプスのヤツを作り直す。
今だから冷静に見たり聞いたりできるんですが、お医者様は「グラスシーネ」って呼んでたような気がしますよ。
柔らかい板状のモノを適した長さにカットし、先生が「バン!バン!」って叩いて、それを足にフィットさせる。
そうすると、そのまま固まる。ってシロモノだ。
看護婦さん曰く「熱で固まるんですよ~」とのこと。

いやー、現代医療って素晴らしい。


しばらくは大きな進展はないかもしれませんが、次は11月上旬に大阪への社員旅行が控える。
幹事だからさ。どうしても行かないとさ。

ま、LOUDPARKへ行けたんだから、どこでもいけるさ!
  

Posted by テン at 07:58Comments(0)雑記棚

2013年10月17日

骨折の骨折り損③

さて、第5中足骨骨折からの早期復活を狙う第三週目です。

ちょうど二週間経過して、ギプスが半分になった!というのが前回までのお話。

半分になった→取り外し可能→→お風呂オッケー!!ということで、いままでビニール袋でカバーして一切濡らせなかった左足を遂にシャワー。
目に見えて汚れていたわけではないものの、やっぱり二週間ぶりということで、いろんなモノが洗い流されるような気分。
これだけでもストレスが一つ消化されましたね。

そして、翌日からリハビリを中心に進めます。


< 15日目 >
まず、超音波治療。
骨折した箇所に超音波を当てると、治癒が早いらしいのだ。

先生に骨折した箇所に油性マジックで「○」をつけてもらっているので、リハビリ担当の人もスムーズに装着。
ベッドに横たわり、超音波治療器をセット。
すんげぇ大がかりなモノを想像してたんですが、実際にはストップウォッチみたいなサイズの機器です。
この超音波治療を20分。

そして、本来であればもっとゆっくりリハビリするところですが、なにしろLOUDPARKが目前だ。
「先生から、松葉杖なしで東京行けるって聞いてるので、それに合わせたリハビリをお願いします」と申し出る。

とりあえずは、片手の松葉杖での歩行の練習から入りましたね。
そして、片松葉杖を使うってことは、骨折した左足も地面につくわけです。かかと歩きのような感じですが。

ギプス+包帯の足を地面につくのは、室内ならまだしも、外ではちょっと汚れやらが気になります。
ということで、この日にAMAZONで「ギプス用サンダル」を購入しました。


< 17日目 >
超音波治療&片手松葉杖生活、3日目。
AMAZONからギプスシューズも届き、外でも左足を少しづつ使えるようになってきました。

片手使える、ということは、荷物も持てる、買い物も行ける。
一気に生活が開けてきましたね。

そして、片手松葉杖に慣れてきて、左足への重心の使い方も慣れてきて、松葉杖なしでもなんとか歩行できるようなレベルまできましたよ。

この日のリハビリで
ワタシ「こんな感じで、杖なしでも歩けるんですが、痛みがなければこんな感じでいいでしょうかね?」
リハビリ先生「・・いや、まだ二週間ちょっとですし、できるだけ慌てないほうが・・」
ワタシ「あと、左足を使ってると、なんだかふくらはぎが『つる』というか、スジが痛いというか・・」
リハビリ先生「・・うーん、今まで使ってなかったからですかねぇ・・」

・・なんだか煮え切らない。

気持ちは焦るのだが、まだLOUDPARKまでは一週間以上ある。
この数日で結論を出そうとせずに、来週あたりから加速度的に慣れていけばいいだろ。

そして、この頃から「もうどうせ行くなら、杖あってもギプスあってもいいや。どうせ指定席orアリーナの空いてるトコで見るだけだし」と諦めというか開き直りの心境になってきましたよ。


< 19日目 >
ドライブ兼、買い物兼、リハビリも兼ねて家族で外出。
とりあえず片手松葉杖。

が、使ってても、ほとんど杖に荷重がかからず、ほぼ二足歩行できていることに気づく。
・・一応、先生からは「外せたら、外していいですよ」って言われたし。けど、リハビリの人からは「無理しないほうが・・」って言われたな。
ってことで、外してみる。

なんか違和感はあるけど痛みはない。
ちょっとコレで進めてみようかと。


< 20日目 >
普通の休日。家でウロウロしたり、買い物行ったり。
ということで、この日は一日松葉杖なしで過ごす。
買い物行って、普通に買い物カゴを持つ。
久しぶりにキッチンに立ち、子供とお菓子作ったり、夕食を準備したり。
普通のことが、普通にできる、ということがどれだけありがたいか痛感。

ただ、左足はギプスがある分、数センチ高くなっているので、歩くときにどうしてもカックンカックンする。
しかも、できるだけカカトで歩くように、ってことなので、その不自然さはさらに増してしまう。
なんか両方のヒザとか腰とか、微妙に痛みというか違和感を覚えます。

しかし、この二日間で足のむくみが一気に減ってきましたね。
やっぱり動かすと血行がよくなるんでしょうかね。

< 21日目 >
骨折して、丸々三週間経過しての診察。
ワタシ「とりあえず痛みもないし、歩き始めたんですが、問題ないですかね」
お医者様「まぁ、いいでしょう。できるだけカカトでね」
ワタシ「で、東京は・・」
お医者様「ん?今週だっけ?出張のときだけ簡単なシーネでもいいよ」
ワタシ「でも、このギプスのほうが間違いないですかね?」
お医者様「そりゃ、こっちはシッカリと固定できるからね」

ということで、LOUDPARKはギプス装着で向かうことを決意。
そりゃギプスなしで身軽なほうがいいけど、松葉杖ナシで行けるというだけで充分だ。安全性も無視できないから、自分の中での折衝案、というところか。


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そして、LOUDPARK前の報告はこれで終わりだと思います。
あとは、鋼鉄の宴から戻って、何事もなければ(いや、なにかあっても)、完治するまでメモっていこうと思いますよ。





  

Posted by テン at 07:20Comments(0)雑記棚

2013年10月10日

骨折の骨折り損②

さて、骨折からの、めざせLOUDPARK!! 続編です。

<第2週目>

骨折から一週間。
松葉杖生活も少しづつ慣れてきたところだ。

ただ、やはり体力的に元気なのに身動きできないというストレスは鬱積してきている。

骨折した足は、相変わらず何もしていなければ痛みはない。
が、イスに座っているときのムクみがハンパない。
ギプスからニクがはみ出んばかりのパンパンっぷり。

これが、足を机に置いてたり、睡眠時に足を高くして寝た翌朝とかは逆にスカスカになる。
既に足が細くなってきているのかもしれない。

LOUDPARKの続報は次々のアナウンスされる。
思いは募るが、次の診察までは全く判断ができない状況だ。


<10日目>

一週間ぶりの通院。
・・・混んでる。しかも年配の女性ばっかり。
「なんで自分だけココにいるんだろ・・・」と切なくなってきます。

レントゲン撮影。
三度目なので、何も言われなくても配置、角度が分かるので即終了。
さて、診察のほどはいかに・・

お医者様「ズレはないですね。大丈夫です。」
ワタシ「(安心)」
お医者様「今日、ギプスを半分くらいにしてもいいですが・・」
ワタシ「(お!マジすか!)」
お医者様「やっぱり次回にしましょう。」
ワタシ「(なんだよ!その手のひら返し!)」
お医者様「次回、4日後にギプスを半分にしましょう」

ワタシ「あの・・10月中旬の東京出張は・・どんなもんでしょうか」
お医者様「じゃ、4日に半分のギプス、一週間後に歩行用のシーネにしましょう」
ワタシ「で、半分ってどんな感じなんでしょうか」
お医者様「今のギプスを縦にパカッと切ってね、それが取り外しできるようになります。お風呂もオッケーですよ」

ということで、この日は何も変わらず
あとは、この4日後を待つだけだ。

4日後ということは、骨折してちょうど二週間。

半ギプスへのイメージがわかないまま、終了。


<14日目>

ちょうど二週間経過。

この日は、診察前に別室へ通されまして。
なんか形はピザカッターみたいなヤツの電動のヤツで「はい、ギプス切りますねー」と。
なんか足がプルプルします。微妙に怯えてるんですかね、ワタシが。

「ギーーーーーーーン」と機械音と響かせつつ、繊細かつ大胆に・・だといいんですが、わりと大雑把な感じでカットしていきます。
そして、ギプスは真っ二つになりましたね。
二週間ぶりに姿を現した足は・・パンパンであります。
そして、感覚的にもなんだか自分の足じゃないような、なにか違うものが左足についているような違和感があります。

その後、レントゲン&診察。

お医者様「ズレてないですね。いまのところ」
ワタシ「で、今後はどんな感じで・・」
お医者様「ひとまず半分になったギプスを足にパカッと装着して、包帯でぐるぐる巻いておいてください。」
ワタシ「あのー・・来週の東京は・・」
お医者様「あ、そうだったね。じゃ、明日から超音波治療とリハビリに入ろうか」

ということで、次の壁であるリハビリを迎えます。

前回のスネ骨折のときに、このリハビリが地味ながらキツいことを身をもって経験しているわけですが、LOUDPARKに向けてと思えば何の弊害もない。
ジャンジャンバリバリとリハビリに励む所存でありますよ。
  

Posted by テン at 07:29Comments(2)雑記棚

2013年10月03日

骨折の骨折り損①

先日、足を骨折しましてですね。
約5年ほど前にスネを折って以来の骨折でして。

自分の記録、他にも同じ症状で悶々としている方の手助けになればと思いまして、簡単に経過をまとめていこうと思いますよ。
一週間ごとくらいにまとめていければいいな、と。

というわけで、第一週の記録です。

<9月某日>

会社へ出勤。
だいだい5時半~6時くらいに出社するスタイルであります。早朝は電話鳴らない、一人で没頭できる、夕方はサクッと帰る、とイイコトづくしだからね。
そして、給湯用ポットへ水を蓄える。最初に出社した人の仕事であります。
給湯室へ向かう。

ちょっとした段差があるのですが、そこで左足首を「グキッ」とヒネってしまう。
まぁ、別にコケたわけでもないし、手をつくほどでもない。
ホントにただ「ヒネった」だけ。
「イテーなオイ!」と自分自身にココロの中でツッコみを入れつつ、日常業務へ。

が、徐々に痛みが増してくる。しかも足首ではなく左足外側。
そして、尋常じゃなく腫れてきている。
デスクワークしてるには問題ないが、歩こうとすると尋常じゃない痛みが。

この腫れかた、この痛み・・この時点で骨折していることをなんとなく悟る。

朝の仕事を一通り片づけて、整形外科へ。
すでに歩くのはシンドい。
レントゲンを撮る。

お医者様「えー、折れてますね。」
ワタシ「(・・やっぱり)」
お医者様「小指の根元のほうの骨が折れてますね。今のところ骨にズレはないので、このままギプスで固定するか、手術するか、どちらにしますか?」
ワタシ「(俺に決めろと!?)・・・以前、スネを折って手術しましたが、けっこう大変だったし入院もキツいので、ギプスで・・」
お医者様「分かりました。ギプスで固定して、ズレなければそのまま。ズレてきたら手術ですね」
ワタシ「・・はい」

ギプスを装着。
指先が少し出る程度を残して、指先からひざ下のあたりまでガッチリと固定。
そして松葉杖。

お医者様「じゃ、あとは明後日にもう一度来てね。ズレてないか見るから」
ワタシ「はい」

ということで、とりあえず終了。

幸い左足なので、車の運転は可能ということもあって、そのまま仕事へ。
当然、この日は精神的に凹んで仕事にならないわけであります。

診断書を見ると「第5中足骨骨折」と呼ばれるもののようだ。
ネットで調べると、「第5中足骨基部骨折」「下駄骨折」「下駄履き骨折」などと呼ばれて、足を捻っただけで簡単に折れるらしい。
(ところで「基部」がついてるのと、ついてないのは症状が違うんだろか・・)
・・ついてない。まったくもってついてない。

そしてなんといっても心配は10月20日に開催されるメタルの祭典、LOUDPARKへ参戦できるかどうかだ。
骨折の数日前にチケット買ったばかりなんですが・・。

<初日~2日目>

家でもほとんど身動きはとれない。
奥様とコドモたちに頼りっぱなしの生活だ。
みんなが動いてくれてるのに、自分は何もできない。足の痛みとか生活の不便さよりも、コレが一番精神的にキツい。

風呂は、左足にタオル&ビニール袋の二重包装(?)で対応。
トイレはまぁ松葉杖でなんとかOK。
寝室が二階なのだが、これはさすがに松葉杖はキケンなので、オシリをついてズリズリと移動。
疲れる。とにかく疲れるのだ。

ワタシ&奥様の弁当はワタシが朝作るんですが(奥様はワタシの出社時間は寝てる)、ひとまずキッチンにあるイスなどを駆使して、なんとか準備。
そう凝ったものは作れないが、なんとかなりそうだ。

<3日目>
骨折後、最初の受診。とにかく骨がズレてないかどうかがポイントだ。
「ズレてたら入院だから、よろしく」と家族に言い残し、医者へ向かう。
なんだか、タッチで和也が最後に家を出て行ったシーンが脳裏をよぎる・・おっと、トシがバレる。

お医者様「ズレてないですね。このまま様子を見ましょう。次は一週間後ね。」
ワタシ「(・・一週間放置か。)」
以上。

せっかくなので、気になることを聞いてみる

ワタシ「アルコールは・・」
お医者様「適量ならいいですよ。」
ワタシ「左足は全くつかないほうがいいんですかね」
お医者様「いや、少しづつカカトに体重かけたほうがいいですよ」

そして・・気になるLOUDPARKへの参戦については・・
ワタシ「10月中旬に東京へ出張があるんですが(出張で濁したわけじゃなく、本当に出張もある)
お医者様「うーん・・まぁ、大丈夫でしょう。そのまま靴をはくってわけにはいかないかもしれないけど」
ワタシ「(ヨシャ!じゃ、ラウパもいいんじゃね!?)」

というわけで、何も変化なく日常生活へ。

<4日目~7日目>

普通にデスクワークをするには全く痛みはなく、「治ったんじゃね?」と錯覚するほど。
ただ、フとした拍子に左足にチカラが入ったり、衝撃があったりすると激痛が走る。
この激痛で一気に現実へ引き戻される。

睡眠時も痛みはない。が、毎日毎日
・「もう治った!ヤッホー!」と走り回る夢
・治ってないはずなのに、全く痛くない夢
・簡単なギプスに変わって、「もうすぐ治るよー」って夢

を見るようになった。ホントに毎日だ。
そして寝返りができないので、腰が痛くて目が覚める。そしてこれまた現実へ引き戻されて、オシリをズリズリしながら一階へ降りていくのだ。

そして、この頃から奥様が夜のうちに弁当をつめてくれて、ワタシは朝、それを冷蔵庫から持っていく。というスタイルに。
朝の負担が減って、これだけでも随分ありがたいことだ。



というわけで、はたしてLOUDPARKへ参戦は叶うのか・・・

  

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2012年12月28日

Bye! 2012!

さて、2012年も終わりが近づいてまいりました。

おそらくこれが今年最後の投稿になると思われます。

細々とではありますが、なんだかんだで7年目に突入し、マンネリ感が著しいこのブログではありますが、なんとか今年も続けることができました。
皆様に感謝しつつ・・・

例年の通り、今年はどんなことがあったかなーと振り返っておこうかと。
自分の備忘のためも含めて。

なんといっても今年は夏に母ちゃんを亡くしたことが一番の出来事でした。
2カ月に満たない闘病生活でアッというまに逝ってしまった母。
その記録が残せたことは、このブログをやってきて最も意義があったことだったのかもな、と感じてます。

そして久々のサプライズ旅行となった沖縄旅行
一泊二日という弾丸ツアーではありましたが、記憶に残る旅となりましたね。

そしてプライベートでは、町内の役員、子供二人それぞれのPTA役員のトリプルコンボという多忙な一年。
これでしばらくは役はまわってこないよね、楽できるよね、と思いたいものであります。

子供たちはといえば・・・

ボウズは、今年はナノブロックという細かいブロックにハマった。
そしてONE PIECEを繰返し繰返し繰返し繰返し読んでたな。
元々カラダが小柄かつ細身で、食も細かったのだが、最近になって大人と同じくらいの量を食べるようになってきたことも書き留めておこう。
奥様へ向かってナマイキな態度をとる様子も増えてきて、ちょっと奥様は手を焼いているようです。

ムスメは、オトナの世界に入り込みたい願望が強くなってきてるかな。
友人や親戚と家族ぐるみで集まる場があっても、子供たちがはしゃいでる中へ行くよりはオトナの会話に混じってきたがる。
そして地獄耳だからオトナの会話に「なに?いまなんていった?なんの話?誰の話?」と割り込んでくる。
奥様はこちらでも「いまオトナが話してるところ!オトナの話に入ってくるな!」と苦労している。
そしてグータラっぷりが加速していて「絵本読む時間があったら早く寝たい」などと言い出している。
それが発端でボウズとのケンカが絶えない。

そうそう、二人のケンカが増えてきて徐々に過激かつ一部陰湿になってきたなーと感じることもあるな。

今年前半は出張が多かったこともあり、東京で数多くの絵画に出会うことができた。
特にフェルメールによくタイミングが合ったんだよね。
そして、念願の「青いターバンの女」を見ることができた。生涯で一度は見たい作品の一つだったからね。感慨もひとしおだ。
あとは原点でもあるエゴン・シーレの、あの作品をいつかは・・・。

そしてメタル界でいえば・・・

新年早々、RIOTマーク・リアリの訃報。

QUEENSRYCHEの分裂騒動も意外かつ残念な状況になってしまいましたね。

VAN HALENの来日騒動も今年か。

GOTTHARDの復活、KAMELOTの復活、DRAGONFORCEも新ヴォーカルを迎えての復活、といえるでしょうか。

3年目を迎えたLOUDPARK12への参戦も、毎年一人でしたが今年は友人を含めて三人で参戦。
こんな田舎町で、こんなコアなジャンルで意気投合して、一緒に盛り上がってくれた二人にはどれだけメロイックサインを贈っても足りないくらいだ。


最後に、これまた毎年恒例、今年一年よく聞いた曲を貼っておきましょうかね。


Galneryus - ANGEL OF SALVATION
文句ナシ、今年のベストチューン。
あまりこの言葉は乱発したくないし使いたくないんですが・・・まちがいなく歴史に残る「神曲」!




摩天楼オペラ - GLORIA
ジャパメタついでに。今年初めて知ったバンドだけど、これは素晴らしい。
サビはRHAPSODYのEMERALD SWORDを思わせます。
バンドメンバー全員がメタラーというのも好印象!




KAMELOT - SACRIMONY
ロイ・カーンが脱退し「・・・終わったか」と思いましたが、それを感じさせない復活劇。
さすがに過去の名作群には及ばないまでも、最近の低迷を思えば充分に刺激的なチューン。




NIGHTWISH - STORYTIME
リリースは去年だったかもね。けど気にしないよ、今年よく聞いたから。
こういう曲にココロがトキメクと、「あー、やっぱりワタシはシンフォニックなアレンジに弱いんだなー」と思うわけです。
そういやここまでの曲は全部シンフォニック路線って共通項がありますね。
一時期NIGHTWISHから離れてたけど、やっぱり先駆者の本領は侮れません。




CRIMSON SHADOWS - LOST IN A DARK FOREST
デスメタルなDRAGONFORCE・・・といった趣ですかね。
そうか、この手があったか!と思いましたね。
ニヤニヤが止まらず、微笑ましくも、サビの「オイ!」でコブシを振り上げたくなりますね。




DRAGONFORCE - HOLDING ON
新ヴォーカル、マーク・ハドソンを迎えて「復活!」を印象づけた彼ら。
LOUDPARKのパフォーマンスも素晴らしく、サークルピットとウォールオブデスの記憶も鮮明に残ります。




ということで、今年も一年間おつきあいくださり、ありがとうございました。
懲りずに来年も生温かく見守って頂ければと思いますよ。

皆様、よいお年を!
  

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2012年08月03日

ガン闘病の記録 ②


ということで、前回の続きです。

ガンが判明して原発を探すことに尽力した6月。
そして、今回は怒濤のように過ぎていった7月を書き留めておこうと思います。

今回も、他に同じ心労を抱えていらっしゃる方に多少でも参考になれば・・・ということで、検索用に関連用語を記載しておきますよ。
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転移性肝臓癌 転移性肝臓ガン 転移性肝癌 転移性肝ガン
肝臓ガン 肝臓癌 末期 症状
神経内分泌腫瘍 神経内分泌ガン 神経内分泌癌 胚細胞腫瘍
ビリルビン 数値
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:
:
:

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2012年 7月上旬

大学病院の複数名の先生が協議した結果、どうやら「神経内分泌腫瘍(神経内分泌癌)」が原発と確定。
これが確定した段階で「基本的に、打つ手はない」との宣告を受ける。
そもそも肝臓ガンが末期の状態だったから、やむを得ないのですが・・・。

そして、肝臓の「ビリルビン」の値が少しづつ上昇しているとのこと。
この値が肝臓の機能を示すもので、上がり続けると機能が停止するらしい。

現状から「今月中~8月くらいまでしか生きられないかもしれない」と宣告を受ける。

我々家族は「延命処置はせず、できるだけ苦しまないことを最優先してください。ただ、余命は本人には伝えないでください。」とお願いする。

あと、「ウソでも気晴らしでもいいので、栄養点滴みたいなものとかビタミン剤みたいなものを『抗ガン剤です』って与えてあげることはできませんか?」とお願いしてみた。
が、医療行為である以上、こういったことは難しいらしい。
何も処置をしてあげられないってのもツラいとこだ。

ということで、本人には病名は告げたが、余命は告げず。
「とりあえず体力が戻ってから治療方針を決めましょう。」
「まぁ、年末とか正月とか、そういう話じゃないので気長に治療しましょう。」

と先生が話してくれた。

この頃から少しづつ痩せはじめる。
それと並行するように、体力が落ちていくのが見え始めた。

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2012年 7月15日(日)

数値に大きな変化がなく、当面治療もなく、ムスメの誕生日をお祝いしてあげたい、ということで、ひとまず退院

ムスメの誕生日当日、さすがに食事の準備をする体力はないが、じっとしてられない性格なので玉子焼きなどを作る。
が、動いては休み、動いては休み・・・といった状況。

食事の時には少しビールも飲む。
やや疲れているようだが、ムスメの誕生日を祝ってくれた。

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2012年 7月18日(水)

病院で検査の日。
白血球の値が上昇しているということで、そのまま再入院

細菌性のものか、癌ホルモンが分泌している(?)か、判断するということらしい。
この時点では血液の数値に大きな変動はない・・・が、微増している。

そして、徐々に痩せて体力が落ちていくのが分かる。

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2012年 7月21日(土)

数日後、母の姉妹が見舞いに来るということで、外出許可
みんなで食事に行こうということで、回転寿司へ。

足どりは弱々しいものの、驚くほどの食欲を見せる。
普段は好まない揚げ物を食べたがる。

病院への帰路、肩を借りないとフラつくほど疲労していた。

その夜、母の姉妹、我々とで今後のことを話し合う。
姉妹には余命についても伝えた。
そして今後はできるだけ母の意志を尊重することとした。

この晩餐を最後に、症状が一気に加速していく。
看護婦さんからは「最後のときを、病院で迎えるか自宅で迎えるか、ご家族で相談しておいてください」と伝えられる。

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2012年 7月22日(日)

医者から「当面は治療することもないので、本人が希望すれば退院させてもいいですか」との連絡。
昨夜の話し合いで、本人の意志を尊重すると決めたので、そのように伝える。

本人が退院したいとのことで、そのまま退院
この日は自分で食事もとり、トイレも風呂も行った。

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2012年 7月23日(月)

翌朝、自分では動けないようになる。
急遽病院へ。そのまま入院。

横たわる姿は意識が朦朧として、ほとんどの時間は昏睡状態なのか睡眠状態なのか分からず。
素人目で見ても、もう数日しか生きられないのではないかと思えるほどの状態に陥る。

一時間おきくらいに目を覚まし、手招きでワタシを呼び、小さな小さな声で「のどがかわいた・・・」と訴える。
ストローを刺したペットボトルを口に近づけて水を飲ませる。

そんな中でも「ごはんを食べないと元気になれない。薬が飲めない」ということで食事を食べる。
おかゆに梅干しを細かくして添えて、口へ運んであげる。

先生からは「ここ数日で、ということはないと思いますが、会わせたい人には早めに会わせてあげてください。」と言われる。

尿は管から、そしてオムツを装着。

一昨日、一緒に寿司を食ったとは思えない衰えだ。

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2012年 7月25日(水)

朝、昼と見舞いに行くが、ずっと昏睡状態(?)のまま・・・いや、うっすらと目を開けているように見える・・・気のせいか。
午後、看護婦さんから「問いかけに対して反応が無くなりました」との連絡が。
とはいえ、家族や孫の呼びかけに、声は出ないが少し口をパクパクさせる。

先生は
「肝臓の機能が働いていないため、毒素が脳にまわり、脳症状態」
「意識レベルが落ちてきています」
「この先は予測できませんが、念のため血圧や脈などのモニタリングを始めます」
とのこと。

看護婦さんからは「苦しかったり悩んだりする期間が短いうちに意識レベルが下がってくるのは、ある意味では幸せかもしれません」と。
ホント、その通りだと思う。
本人が「もう長くないのかも」「どれだけ続くんだろう」と考えてるんじゃないか、と考える自分もツラいから。

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2012年 7月26日(木)

奥様、子供たちを連れてお見舞い。
この日はハッキリと目を開いている。・・・視線は宙を彷徨ってるけど。
呼びかけると、必死に口をパクパクさせて応じようとしている。
そして、目には涙が浮かんでいる。何か伝えたいのか、それが伝わらずもどかしいのか。
涙をふいてあげると、目を閉じる。そして再び呼びかけに応じて涙を流す。

血圧がやや高い(145)のと、脈拍の速さ(110越え)が気になる。

そして目には黄疸が出ているのがハッキリ分かる。
黄疸は肝臓が機能していない証拠らしい。

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2012年 7月27日(金)

午後、付き添いの叔母から「呼吸がおかしい。モニタリングもやや乱れてる」との連絡。
夕方、駆けつける。
目を見開き、まばたきもしない状態。
同じく駆けつけた孫たち(ウチのボウズ、ムスメのイトコ)が必死で呼びかける。
脈拍が200を越えたり50を切ったりという乱高下状態。

19:00 叔母と孫たちがいったん帰宅。
その途端、脈拍が50~60で落ち着いた状態になり、看護婦さんからも「この落ち着いた状態で、しばらく続くかもしれませんね」と言われる。
私の弟と、今夜の付き添いについて相談。

その数分後、看護婦さんが「酸素量が落ちてきてます」と駆けつけてくる。

よく見ると、呼吸の間隔が長くなって、瞬間的に「呼吸が止まった・・?」と思うほどになる。
そのとき、モニタを確認すると、脈拍が50、40、30、20・・・と下がっていく。
脈拍がゼロになった瞬間、先生が駆けつけた。

先生から死亡確認の説明を受ける。

最後は本当に穏やかだった。
命の灯火が少しづつ消えていった、そんな感じだった。

叔母や孫たちが帰ってから30分ほどのことだった。
そして、外出許可をもらって、みんなで寿司を食べてから一週間に満たない時間だった。

きっと、呼びかけに必死に応えようとしてたんだと思う。
そして、みんなが帰ってから安らかに逝ったんだと思う。

二人の子供(ワタシとワタシの弟、)に看取られて逝った母は幸せだったと思いたい。


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少し痩せてきたな、と思ってから一カ月。
体力が落ちてきたな、と思ってから半月。
最後に入院してから4日ほど。

余命宣告を受けてから、アッという間のことだった。
別れを惜しむには、あまりも短い時間だったけど、すごく濃密な時間でもあった。

そして癌の進行の恐怖を体感した時間でもあった。

こういう経緯を辿った・・・という一例&参考になれば、と思います。

そして、次回からは通常運転のブログに戻りたいな、と思っていますよ。
  

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2012年08月01日

ガン闘病の記録 ①

先日、母を亡くしました。

60台前半という若さでした。

今まで大きな病気などなく、初めての入院。
そして病気が判明して2カ月弱という短い時間で逝ってしまった母。

この記事は、いつもの自分の趣味を全面に押し出したものとは趣が異なります。
面白い話は何もありませんし、ヒネりも何もありませんから、興味がない方にとっては退屈極まりないものとなっています。

私自身、母が病魔に侵されてから、その病気を調べるためにいろいろとネットで検索しました。
どんな症例、どんな経過、どんな心境、そういったことを調べようとしたのですが、意外と情報が少なくて不安が募りました。

そんな方の不安を取り除く助力になれればと思い、検索ワードなんかもつけておきますね。検索で引っかかってくれることを願いつつ。

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転移性肝臓癌 転移性肝臓ガン 転移性肝癌 転移性肝ガン
肝臓ガン 肝臓癌 末期 症状
神経内分泌腫瘍 神経内分泌ガン 神経内分泌癌 胚細胞腫瘍
ビリルビン 数値
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そしてもちろん、自分自身の記憶を留めておくためであります。


まずは体に小さな異変があった、今年の冬から、ガンを発見した6月まで・・・


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2012年 冬
左手が少し震えるという。原因は不明。
また、胃の痛みと膨満感が少し。
診察を受けたが、この時点ではそれほど気に留めず。

2012年 春
引き続き、胃の痛みと膨満感。
かかりつけ医に聞いたところ、胃炎との診断。
胃薬を処方してもらう。
血液検査に異常はなかった。

2012年 4月
実家の祭り。
いつも通りご馳走を作り、いつも通りビールを飲む母。
左手の震えは残っているが、普段と変わらぬ様子。
この先の激変を予期させるものは無い。

ただし、胃の調子は相変わらず。

2012年 5月
ゴールデンウィークに親戚が集まる。
これまたいつも通りにビールを飲んで楽しく話す母。

下旬、奥様方で不幸が入る。
ワタシの実家方での対応について、ワタシと口論。
まったく怯むことない姿は、いたって元気そのもの。

・・・・・が、ここから劇的に変化が。

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2012年 6月上旬

かかりつけ医から「血液検査で異常あり」とのこと。
総合病院で再検査した結果、「転移性肝臓ガン」との診断。

胃の不調は、どうやら肝臓が肥大化したことにより胃を圧迫していたことが起因しているようだ。

どうして「転移してきた癌」「そこから発生した癌」が分かるのかが不思議だが、分かるものらしい。

この時点で、肝臓全体が癌に浸食されていることが判明。
本人にも知らされる。
ただし、まだ抗ガン剤治療という望みがあることが前提での告知だ。

そのまま原発元を調べるために、入院。
原発によって抗ガン剤の種類が異なるため、判明するまでは特になにもできないとのこと。



「転移性肝癌の場合、大腸からの可能性が高い」ということで、大腸を検査。
が、発見できず。

その他、胃カメラ等で胃ガンなども疑う。
しかし発見できず。



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2012年 6月中旬

肝臓の細胞の一部を採取して原発を調べる、とのこと。
ただし、結果が判明するまでに1~2週間かかるということで、その間に専門病院でPET検査を受けることに。
日帰りで可能とのこと。



数日後、PET検査の結果も原発不明。




入院しているとはいえ、あくまで検査がメインなので、「早く判明するといいねぇ。」という程度。
体調も良好。

ただ、入院して半月近く経過しても原発が不明であることに対して不安と不信感が募る。
この頃、家族ではセカンドオピニオンや転院について相談をしていた。

が、病院内だけでなく県内の大型病院に常時相談を持ちかけているということ。
そして本人が「大腸や胃の再検査は苦しいから、転院はしたくない」とのことで、現状のまま過ごすこととなった。

転移性ガンの原発が不明のまま、ということも多々あるらしいが・・・やはりハッキリしないと落ち着かないものだ。

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2012年 6月下旬

この頃は、入院してはいるものの、自分で何もかもできる状態。
メールのやりとりも頻繁

やや食欲は薄れてきているか。



細胞検査の結果、「胚細胞腫瘍」が原発である可能性が高い、とのこと。
ただし、まだ確定ではない、と。

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ということで、6月に転移性肝臓癌であることが判明して約一カ月。
原発を調べることを最優先していた一カ月でありました。

食欲はモリモリというほどではありませんが、食べられるものを食べる。
病院内を散歩する。
会話やメールも通常通り、という状態でした。


ということで、次回は怒濤の一カ月となった7月のことを記しておこうと思います。

  

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2012年05月15日

ONEPIECE展 @ 六本木

先日、東京出張に行ってきましたよ。
毎回出張時には美術館へ行くのが定番。
今回は「エルミタージュ美術館展」というスンゴク魅力的な展示会があったですが・・・。

今回はそれを差し置いても行っておきたいところがありました。

ONE PIECE展~原画×映像×体感のワンピース
in 六本木ヒルズ 森アーツセンターギャラリー



ワンピースといえば・・・まぁ、御存じの方&ワタクシなんぞより詳しい方が多いでしょうから、ここで云々言う必要はないでしょう。

ワタシはといえば、もともとワンピースを全巻集めてたんですが、引っ越しとともに全部処分。
その後はランチの時なんかにジャンプを読む・・って程度だったんですけどね。
ムスメ&ボウズが読みたいってことで、誕生日のプレゼントで再び中古で揃えまして。
そこから我が家(奥様は除く)で空前のワンピースブーム。

ってことで、子供たちも「行きたい!行きたい!」ってことで、実現に向けて計画してたところへ今回の出張。
ってことで、まずはワタシが先陣切って「下見」ということになりました。
ってことで、六本木ヒルズへ。

ココは、ドラゴンクエスト展以来ですね。

入場は時間指定制。
セブンイレブンorぴあで前売りを購入するか、当日券を買うか。
ぴあの会員でもないし、セブンイレブンは近くにないし、やむなく当日券をチョイス。
大人気のようですが、平日はわりと当日券余裕でとれます。
なんつっても、夜遅くまで開場してるのが、出張族にとってはウレシイ。
ってことで、入場!

・・・とはいえ、こういうのはネタバレしない程度に、楽しさを伝えるってのが難しいなー。

概要はこんな感じになってますね。
http://onepiece-ten.com/info/info.html

とりあえず結論から言うと

・ファンなら飛騨地方からでも行くべし。
・涙もろい人は、ハンカチを持っていくべし。
・勢いでグッズ大量購入になることは必然。カネを多めに持っていくべし。
・原画中心なので、わりとオトナ向けかな。


仲間シアター、冒険パノラマシアターでは、短時間ながらも「あの名場面」が次々と迫力のある映像で迫ってきます。

「マリンフォード頂上戦争」の名シーンを大きくコマ割りして展示したコーナーは、思い入れのある人にとってはタマラナイでしょう。
エースの命が断たれるシーンで、目頭を押さえてる女性、多数。

展示された原画の数々(すんげぇ多いです!)も、ツボを押さえた場面の選択で「あー、ここ好きだ・・」と涙腺が緩むことでしょう。
カラーの原画の色鮮やかさも目を惹きます。
最新号のジャンプの原画が展示されているので、是非読んでから向かってほしい!

「『ONE PIECE』が生まれる場所」では、尾田栄一郎さんが白紙の状態からルフィ&チョッパーを書き上げていく様を見ることができます。
なるほど・・・こうして生まれるわけだな。

退出時には、一人に一枚「ビブルカード」をもらえます。
それぞれに麦わらの一味の顔が描いてあるわけですが・・・ワタシがもらったのはフランキー!
実は一味の中ではフランキーが一番・・いや・・「スーパー!!」に好きなのです。

退出後には、うまい具合に公式グッズショップへ導かれていきます。
http://onepiece-ten.com/goods/

これだけ満足感を味わったあとは財布のヒモが緩むのも当然ですが・・・どれも魅力的。

ちなみに500円の「公式パンフレット」と3500円の「公式図録」があって、迷うところかもしれませんが・・・
ココはフンパツして「公式図録」を是非買ってほしい。
ウチでは子供たちが毎日のように眺めて「あー、ここ好きやなー」などとウットリしてます。

あとは子供たちに下敷きを買いましたね。

:
:

さて、下見を終えて我が家の状況としては、「そっか、絵ばっかりなら、この本(公式図録)で充分やわ」ってムードになりました。
小さい子供だと「原画」を見るということに価値を見出せないでしょうから、ちとツライかもしれませんね。
まぁ、シアターは楽しいんですが。

逆にオトナは「あのシーンが、こうして生まれたのか!」と感激すること間違いなし。

6月17日までってことで、あと一カ月!急げ!



あ、多少ネタバレが入ってもよければ、このあたりでフンイキを感じることができますよ。

http://natalie.mu/comic/news/66380  

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2012年01月18日

ちょいイメチェン

ちょっぴりブログの画像なんかをイジってみました。

もともと、昨年の震災があってから「いくらHeavyMetal大好きとはいえ、トップページに死神ってどうよ。」という思いは抱きつつ、メンドクセーメンドクセーメンドクセーのまま年を越してしまったので、一念発起。
・・・というほど大がかりな作業じゃないんですけどね。

とりあえず、死神はヤメといて、「聖」な雰囲気に変えつつ、モノトーンカラーは残したかったので、冬だし全体をちょっぴり白っぽくしてみよっかな、って程度です。

何も変わらねー!って人はリロードリロード。

ブラウザとかによって、うまく表示できない人がいたらゴメンナサイ。

春になったら、サワヤカなイメージにしたいなー。
けど、サワヤカ+メタルって難しいんだよなー。
  

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2011年11月09日

ドラゴンクエスト展

そういや、LOUDPARKで東京へ行ったついでに、こんなとこも行ってきましたよ。

ドラゴンクエスト展 ~ in 六本木ヒルズ 森アーツセンターギャラリー



ドラゴンクエストの生誕25周年を記念しての開催だそうです。
そうか・・・初代ドラクエが発売されたのが中学生の時だからなー。
シリーズを重ねるごとに思い入れは薄まってきてる感があるけど、やっぱりⅠ~Ⅲは最強RPGであると思うので、コレは見ておかねば。と。

時々東京へ行ってるものの、六本木ヒルズなんてオサレなトコ、こういうイベントがないと行かないからなー。
この「森アーツセンターギャラリー」はヒルズの展望台付近にあり、ドラクエ展ついでに展望台も見れちゃう、というお得感もある。
ちなみに、展望台が1500円。ドラゴンクエスト展(展望台も可)が1800円。オトクです。

まず受付でスライムタワーがお出迎え。「おー!いよいよ!」とテンションが上がります。

※ 以下、全般的に写真が反射してるのは御容赦くだせぇ。あんまりスマホで写真撮り慣れてないので・・・。



そして入場。
入場時には、戦士、武闘家、魔法使い、僧侶の中から職業を選びます。
ちなみにワタシは魔法使いをチョイス。

前半は、各シリーズの名シーンを壁面に敷きつめたパネルのコーナー。
何度も何度も繰返しプレイしたシーンを改めて眺めて「あー、あったあった・・・ココは泣けたなー」などと感傷に浸ります。

ちなみに、職業を選んだ時にちょっとしたカードをもらえます。
そのカードにはいくつかの「クエスト」が記載されており、展示を眺めながらその「クエスト」と解いていきましょう、ということになっていますね。

基本、撮影禁止なのですが、ところどころに展示してあるモンスターはオッケー!

ドラキーがあらわれた!


おおきづちがあらわれた!


スライムナイトがあらわれた!


さまようよろいがあらわれた!


ゴーレムがあらわれた! (メタルスライムがカワユス)


そのパネルコーナーを抜けると、ちょっとした「イベント」に遭遇することになります。
ココはネタバレになるから、やめとくね。
一言添えるなら「せっかくだから、その気になって楽しんだほうがいいよ」ってことかな。
ワタシは残念ながら、その空気にノリきれずに冷めた目で見てしまったので、「あー、もったいなかったかなー」とチョッピリ後悔。

その後、鳥山明さんの原画、ゲームの設定集や手書きのマッピングやストーリーフローチャートなどが展示されています。
このあたりがドラクエファンにとっては貴重な場ですね。
鳥山明さんの原画では、実際のキャラクターとして生まれる前の「元々はこんな予定だったのか」「元々はこういう名前のつもりだったのか」という姿が見ることができます。
そして各種設定集では、ゲームとして生まれるまでの筋道が見えたり、思い入れが感じられたり・・・と、いろいろな背景を知ることができますね。

最後に「クエスト」をクリアすると、「秘密のキーワード」が分かる仕組みになっており、退出時にスタッフさんにその言葉を伝えると、ちょっとしたプレゼントをもらえますよ。

退出後には、「楽しかったでしょ。思い出いっぱいでしょ。さ、グッズ買ってってね。ね。」と言わんばかりにグッズ販売所が。
ちなみに、キーホルダー買いました。
ちなみに、ネットでも売ってました。なんだよー。

そして「ルイーダの酒場」も併設。
以前、六本木の「ルイーダの酒場」へ行ったから寄らなかったけど、まだ行ってないなら寄る価値ありますよ。

で、ついでに展望台を眺めて・・・と。


開催は12月4日まで。ドラクエファンは急げ!
  

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2011年09月21日

100000

細々とアンダーグラウンド街道をまっしぐら、で続けてきたこのブログですが、いよいよ100000アクセスという大台が近づいてきました。

ま、ひだっち内を見渡せば、5000001000000・・・って単位もゾロゾロといらっしゃるわけで、そんな単位はとっくに凌駕している皆さんも多いことは分かってますとも。えぇ。
「はぁ?いまさら100000?ケッ!」という方。自己満足で続けてきただけで、さらに節目の自己満足ってことで許してくだせぇ。
「ひだっち」内での存在でいえばミジンコみたいなもん(ミジンコに失礼)なことは重々承知しておりますよ。

とはいえ、メタルを中心とした「興味ない人には全く興味ないし、それどころか不快」なブログでココまで続けてこれたのは、今、ご覧頂いている皆様のおかげです。
ホントにありがとうございます。

他のSNSの台頭もあって投稿数は減少傾向ではあるのですが、ワタシにとってブログは特別な存在。
できるだけ他のSNSとは一線を画したところで続けていけたらいいなぁと思っておりますよ。

・・・ということで、ブログの管理機能を駆使してチョッピリ振り返りなんぞを。

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今まで投稿した記事数 : 609

2006年12月6日にスタートして、ザックリと1750日だから、2.8日あたり1投稿ですね。

過去のアクセス数の多かった記事、上位3つ

1. GALNERYUS、小野正利が加入してのアルバム。

2. 小野正利、GALNERYUSのライブにゲスト参戦。

3. TAIJI、死去

・・・なるほど、ジャパメタ系のアクセスが多いんだな。意外だ。

他には、パン屋の話、ディズニーランド、ドラクエ・・・あたりが上位に入っているようです。
やっぱグルメ系は強いんだろな。

そして下位を見てみると・・・まぁ、どうでもいい話が多いですね。
ROBBY VALENTINECHROMING ROSEといった、マイナーなバンドたちの名前がチラホラするのが切ないです。
大好きなバンドのアクセス数が低いと、いくら自己満足ブログとはいえ「あぁ、そういう存在なのか・・・」と凹みます。

さすがにMR.BIGガンズあたりのアクセス数は多いね。

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どこかのお店ブログだったりすると、「100000アクセスを踏んでくれた方に、●●サービス!!」「△△%割引!!」とかって相乗効果を狙えるんですけどね。
こんなブログでは何も贈呈するものはありませぬ。

が、ただただ感謝。

ここ数年、マンネリ化の一途を辿っているのは議論の余地ナシであるのですが、それを打開する策もなく(というか、別にそのつもりもない)、さらにダラダラと続いていくことでしょう・・・続いていくんだろか・・・続いていくといいなぁ。

よろしかったら今後もおつきあいくださいませ。

改めて・・・・

時々コメントをくださる方々。
コメントなくても定期的に足を運んでくださる方々。
思いついたときにフとご覧いただいてる方々。
サーチエンジンとかで、たまたま辿り着いてくださった方々。

ブログがキッカケで、実際に会うことができた方々もたくさんいらっしゃいます。
ワタクシのような人見知りニートが、そういった方々と繋がることができたのもブログのおかげ。

皆様に感謝感謝です。





  

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2011年08月09日

Xperiaの落とし穴

ちょっと前のハナシですが、ようやくスマートフォンに乗り換えました。

Xperia arc です。

Xperia acro も出てたし、GALAXYⅡも出てたんですけどね。
ま、オサイフだのワンセグだのって機能は使ってないし、新しい機種が出てたおかげで少し安くなってたしね。

元々、それほどスマホの必要性は感じてなかったし、正直「普通のケータイでいいや。つか、普通のケータイ+ipod touchって組み合わせが最強なんじゃね?」と思ってたんですけどね。
結局あんまり値段変わらないんだよね。

それなら・・・ってことで。

「スマホにしたら、元のケータイには戻れない」ってことは、周辺のスマホ保持者から何度か聞いてはいた。
けど、「んなこたぁねぇだろ。」とマユツバに思ってました。

が、これはホントに戻れないですね。
電話かけにくい、メール使いづらい、ミスタッチ多い・・・と、いろいろ気になるマイナスポイントがあっても、余裕でお釣りがくる楽しさです。

ワカンナイながらも、いろいろ楽しんでおりますよ。はい。

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が。
買った当初から、やたら再起動が多い。

文字入力してて落ちる、ブラウザ見てて落ちる。平均すると2日に一度くらいの頻度で勝手に再起動がかかる。
simejiっていう後から追加した文字入力アプリが相性悪いんだろか。

で、先日は電池残量が60%くらいあったのでフツーに操作してたら表示が突然「0%」になり、強制終了。
電源を投入しても電池切れマークが表示されて起動すらしない。
急いで充電ケーブルを繋いだものの、現象変わらず。

オロオロしながら焦ること数分。ようやく起動。

そしてここ数日は反応が悪くなることもしばしば。
例えるなら、PCでウィルス対策のアップデートが流れてマウスの動きが悪くなって
「あれ?あれ?動かねー。カチカチカチカチ(マウスクリック)・・・やっぱ動かねー。→あれ、動きだした。あ!いっぱいクリックしたからいっぱい起動してんじゃねーか!!」
という状態に似ている。

タスクキルアプリも入れたんだけどな。
そういや、コレ入れてから重いような気がしなくもない。

近所で同じくXperia arcを購入してる人からは「俺のは全然落ちんぞ。オメーのやつだけやろ。」と言われている。
そういや、昔っからデジタルモノとは相性が悪くて、なんだか初期不良が多いのだ。
DVDプレイヤー買う→フタ、開かなくなる→気に入ってたから、もう一度同じの買う→またフタ開かなくなる・・・なんてこともあった。

なんだか手がかかるなー、と思うのだが、そんなことがあっても「ま、いっか」と思える。
いまさらながら、文明の利器っつーのはスゲー!と思うのです。


  

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2011年08月03日

キャンプはカレーですか?

毎年、ムスメの誕生日前後にはキャンプ!と決まっている。

ムスメも「ワタシの誕生日、キャンプあるし、プールも始まるし、冷し中華がおいしいし(めん類大好き)、ほんといいときに生まれたよ!」とホクホクだ。
で、ボウズの方ほチラチラ見て「・・冬は寒いもんな(ニヤリ)。でもまぁ、スキーできるし、雪だるま作れるし、冬でもいいさ!」とドヤ顔でフォローするのだが、優越感に浸っているのは間違いない。

で、キャンプといえばだよね!
サンセットの海岸で貝殻拾うよね!
で、釣った魚でバーベキューだよね!

・・・という確固たる思いがあるのだが、今回はチト思い通りに行かなかった。

まず、その候補日が北陸方面が完全に雨予報だったことで、やむなく海のキャンプは諦めざるをえなかったこと。
そして、奥様が「キャンプといえばカレーでしょ」という強い思いがあるらしく、キャンプのたびに「カレーカレーカレーカレーカレー」と言ってたのだが・・・ワタシは上記の通り「海辺でバーベキュー、そしてビアビアビアだろ。つか、それ以外の選択肢はないだろ。」という思いがあるのです。
で、子供たちに「カレーにする?バーベキューにする?」と確認したところ、
ムスメ「食えりゃどっちでもいい」
ボウズ「どっちかといえばカレーやな」
・・・ってことで、カレーになりました。ま、海釣りできないならバーベキューの楽しみも半減だからヨシとしよう。




で、いろいろ調べてたら、その日に犬山のキャンプ場「ツリークライミング」なるイベントが開催されていることを知る。
以前行って子供たちからも好評だったし、久々に行ってみよか・・・ってことで、決定。

このキャンプ場、ティピーと呼ばれるインディアンテントがウリだ。



利用料は結構安価だし、テント設営の手間はないし、トーチャンにはありがたいことだ。
ティピーの横に車を置き、タープを張ろう・・・と思ったが、大きな木の木陰になっていてくれたおかげで、日除け不要。
ってことでタープ要らず。

で、早速川辺を散歩。どうやら洞窟だの滝だのがあるらしいのだ。
道中はこんな感じ
この紹介ページの中にある「名も無き滝」が子供たちの遊び場としては最適でしたよ。

散歩から戻ったら、早速カレーの準備。
今回は「なんとしてもカレー」を主張した奥様にオマカセ。
ワタシはハンゴウで米を炊き、その横で小さなバーベキューコンロを設置して、控えめにバーベキュー。(←結局、バーベキューを諦めきれず)
で、カレー、ウマかったです。
子供がいるから当然甘口になるわけですが、ガラムマサラを持ち込んでバサバサと投入して喰らうとビールのツマミにもなるのだ。

夕食後・・・
テントの中は、この季節ならではの「蚊帳」もセッティングされている。
ムシ対策は万全ですね。女性&子供にはウレシイところですね。

子供たちを寝かせつけ、ランタンの下で奥様と二次会。ランタンのボンヤリとした光の癒しはキャンプならでは。
海、行きたかったけどなー。
ま、これはこれで楽しかったなー。
あの滝、結構よかったなー。
でも、今年もう一度チャンスがあれば海行きたいなー。
・・・などと他愛もない会話がダラダラ流れつつ、バーベキュー設営時からひたすら飲んでいたワタシは、先にテントへ撤収。

翌朝。

お年寄りなので朝が早いワタシは、4時半起床。
「朝、クワガタ探しに行くで、絶対起こしてな!」と言ってたボウズを叩き起こす。
・・・が、起きない。ま、仕方ないですね。
一人でクワガタ探しに行きましたよ。
結果、ミヤマクワガタのペア(交尾中のところを拝借。ゴメンよ)、メスのクワガタ、計3匹を捕獲。
それを見たボウズは「なんで起こしてくれんかったんよー」とウルサいが、スルー。

前日のカレーとウインナーでカレーサンドを作り、さ、ツリークライミングへ出発!
・・・出発っても、すぐ横の木で開催されたんですけどね。

ツリークライミングってのは、木にロープを引っかけてグイグイと登っていくってシロモノですね。
こんな感じです。

説明を聞いていても全く理解できず、「こりゃウチの子供たちには無理じゃね?っつか、オトナでもキビシイんじゃね?」と奥様とヒソヒソ。

が、イザ始まってしまえば、それなりに登っていく子供たち。



子供の環境適応能力ってのはスゲーな、と。

・・・ってことで、海のキャンプじゃなかったのでクヤシい思いをしながらも、これはこれで楽しかったですね。はい。

だけど、結局この日の北陸は快晴でした。
やっぱ強行突破で海行けばよかったよ・・・という思いと、ま、楽しかったからヨシとしよう、という妥協とが未だに葛藤しているのでした。

  

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2011年06月24日

「7」のチカラ

我が家のパソコンは、高山にギガス(ケーズの前身ね)が来たときに、ムスメがオープン記念のガラガラくじで格安入手したSOTECのデスクトップパソコン。
WindowsXPだ。

ムスメが3歳くらいのときだったかなぁ。
そう思えば5年くらい経つわけか。
内蔵ハードハードディスクを増設したり、IEEE1394ボードを増設したり・・・というマイナーチェンジを繰り返してきたのですが・・・。
速度が遅かったり、インターネットが固まったり、ハードディスクがカコンカコンという異音を発したり(←経験上、コレが一番不安でしたね)、ということで買い換えを模索していた。

WindowsVISTAがイマイチで、Windows7も出たばかりは不安で買い換えを躊躇してました。
が、Windows7 で Service Pack がリリースされ、仕事でボチボチとWin7に触れる機会も増えて「お、まぁまぁ安定してるな」という安心感も出てきたので、一念発起しました。

とりあえず希望としては、増設等が簡単であること、店頭モデルのようにゴチャゴチャとしたソフト類が入っていないこと。
ってことで、今回はBTO(Build to Order)を買ってみることにしましたよ。

出張へ行ったついでに、いくつか秋葉原のBTOショップの実店舗でウォッチ。
性能的には大差ないんだろうけど、やっぱりショップでの実体験は重要かな、と。スタッフの対応もよーく分かるし。

パソコン工房/ドスパラ/ツクモ・・・といった大手(?)を巡り、結局ドスパラをチョイス。

今回、最後の最後まで迷ったのは32bit64bitか。
後々のことを考えると64bitを選んだほうがいいことは間違いない。メモリをタップシ積めるし。
が、現行のソフト類の互換を考えると32bitのほうが手堅い。

で、店員さんの話を聞いて、「ま、64bitだな。とりあえずメモリ4GBくらいにしといて」と決心しましたよ。

・・・が、ウチに帰ってきて必要なソフト類の互換を調べてたら不安要素テンコモリであることに気がつきました。
結局、「安定」を優先して32bitで注文・・・・なんてチキンなんだ。我ながら。


そして届いたWindows7

せっかくなので、画面は15インチ→17インチに買い換え。ヤフオクね。
Word/Excelは手持ちのOffice2000はWindows7だと誤動作が多いことは仕事で体験したので、やむなく買い換え。
今回は廉価な互換ソフト「Kingsoft」をチョイス。全く問題ありませぬ。むしろインターフェイスは最新のOfficeよりも使いやすい。
そして、今までのIDEと今後のSATAを両方装着できるケースも購入。既存資産の活用と今後のバックアップを考えて。
そして、インターネットが止まったりしたので、ルーターも買い換え。無線対応。これまたヤフオクね。

そしてメールはWindows Live MailからThunderbirdへ乗り換え。Windows Live Mailは、複数アカウントの管理が面倒(っつーか、使いづらい)ですが、Thunderbirdならバッチシ。
ブラウザはOpera。ココは浮気しません。
そしてFacebook&Twitterの一括管理のためにHootSuiteを使いたいので、Google Chromeも併用ですね。

で、使っているソフト類のWindows7対応および実際に使ってみた動きとか、備忘メモ。


筆まめ16 ・・・ Windows7は非対応とのことでしたが、とりあえず動いてます。
Norton Antivirus・・・問題なし。当然ですね。
Kingsoft OFFICE・・・今までのWord/Excel資産は問題なし。ま、自宅では複雑なマクロとか無いしね。
VIX・・・写真管理用。Win7の対応情報はありませんでしたが、最新バージョンで無問題。
KbMedia Player・・・音楽再生。問題なし。


そして、一番問題だったのが、我が家には AVeL Link Player (AVLP1/DVD) という機器があってですね。
パソコンの中の動画をLAN経由でテレビで見ることができる装置です。
けっこう重宝しているのですが、いかんせん古い。

で、使えるかどうかI-O DATAに聞いたら「使えません。使う方法もありません。無理です」と一刀両断されてですね。
弱り果てていたのです。

ちなみに、ネットワークサーバーソフトウェアとして、「UZU」というものを使ってました。
こちらも更新されてる気配もないし、諦めていたのですが・・・・問題なく動いてますよ!

古いIDEのハードディスクをバックアップ用に準備し、バックアップソフトはBunBackup。これも問題なし。

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いろいろ互換性および動作報告見てたら、32bitは問題ないけど64bitはNGってソフト、けっこうあるみたいです。
ひとまず安定した移行を目指すなら32bit、長い目でみたら64bitってとこですかね。
今は量販店で購入すると、ほとんど64bitらしですけどね。


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軽快なメーラーThunderBird、相変わらず使いやすいブラウザOpera、ルーターを買い換えてネットも快適。
ハードディスクの容量も増えて、写真管理もゆとりが出てきました。

Windows7、悪くないです。

でも、いまだにワタシの中には「Windows2000最強伝説」は根強く残っております。

  

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